先日のこと、ふだんコアな真空管談義がメインのdigicamekさんのブログアンチLEICA宣言に、ポータブルレコードプレーヤーの話題が載っていました。
その記事は、『新米刑事モース』のポータブルプレーヤーといい、原題”Endeavour “というイギリスの刑事物の番組のパイロット版がロザリンド・キャロウェイというオペラ歌手のレコードを流しながら主人公が退職願をタイプしているシーンから始まるのですが、そこに出てくる「一昔前のポータブルプレーヤー」のことが気になっている様子でした。
こういうことを調べるのが大好きなもので、頼まれてもいないのにそのプレーヤーについてネットを四方八方探して廻りました。そしてビンテージラジオ修理のBBSで答えを見つけられました。
そのBBSには、歌唱しているのがプッチーニの「蝶々夫人」の曲であること。BSRのレコードチェンジャーが使われている等でブランドと機種が知りたいと依頼が寄せられていました。
その後、プレーヤーはイギリスのALBAというあまり有名とは言えないメーカー製で、機種は1962年リリースの212との回答が寄せられていました。オーバーアームの使用法について説明などもあり……。さっそく情報をコメントで伝えました。
ついでにYouTubeで同機種の映像を探したのですが見つからず、同じレコードチェンジャーを使用しているらしい物があったのでこれも報告しておきました。
その後現代版のポータブル・レコード・プレーヤーを手に入れられた由。ご同慶の至りです。
昨日の朝、市内の道後温泉の近隣にある四国八十八ヶ所の51番札所石手寺に行き、本堂の左脇から石段を上がってミニ八十八ヶ所巡りというのをしてきました。2時間ほどで八十八ヶ所分の石仏をお参りするコースが裏山2つを結んでいるのをお参りするものです。
最初段を上がっていって石仏に気づいたらもう3番で引き返したのを皮切りに、途中山道が上下に分かれていて迷ったり、43番から44番までがえらく離れていて不安だったり、45番岩屋寺の石仏が右手がわに大分離れていて見つけるのに時間が掛かったり、手にしていたおさい銭の袋の中身を坂道に撒いたりとか苦労しながらやっとの思いですべて回ると、所要時間は1時間半で済んでいました。しかし脚はがくがく、大汗をかいて「この1回でもう結構という感じ(*_*;;」でした。
道後温泉と言えば、今月初めに地デジでブラタモリ・道後編という番組が放送されました。地元が出てくるのでテレビの前で正座して視聴(嘘;;)しました。
市内電車が今の伊予鉄道に一本化される前、昔2社で競合していた時代の線路の名残の道・家並みや当時のレールなどが興味深かったです。
それに関連して個人的に思い浮かべたのが、今子規博物館になっている場所かその奥辺りに昔温泉施設があって、昭和40年前後に家族で入りに行ったようなというあやふやな記憶でした。
それで検索してみると
という情報が見つかりました。やっぱりあったのだとは分かりましたが、余りに関連する情報が少なくますます疑問が温泉のように(笑)沸いてきてしまいました。
今度はKuniが子供の頃、約50年ほど前という条件で道後温泉の情報をネットで探したのですが、その前後の界隈の様子を描いた生きた資料となると写真が散見される他は見つけるのが難しく、歴史・公文書的なものの限界を感じました。
そこで地元道後で育った大先輩Iさんに声を掛けて、幼少期に見聞きし、感じたたままを聞かせてもらうことにしました。以下、許可を得たので引用します。半世紀(以上)前の個人的な記憶ですので細かい点についてはノークレームでお願いします。
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。 」お話を聞かせていただいた大先輩には、
別の方からも道後温泉本館の南側、今は道路と湯神社の駐車場への上り坂の入り口になっているところ辺りに温泉の建物があったという情報をいただきましたので、新湯があったことは間違いないようです。
この記事を読んで思い出された方、詳細をご存知な方がありましたらぜひコメント欄を使用してお知らせください。
コメント
digiです。今晩は。
その節は有難うございました。
さて新温泉ですがdigiの記憶では湯釜薬師の堀の外側辺にあったような気がします。
子規博の所には道後公民館があって、道後小学校の卒業式なども行っていたと思います。
間違っていたらごめんなさい
新温泉の写真が暖流街道さんという方のブログに載っていました。左側にふなやの建物も写っています。
この2枚目の写真の位置関係からすると、湯釜薬師とふなやの中間に新温泉の建屋があったようで、新温泉の屋根の右手奥に道後公会堂の屋根が見えています。